2014年6月29日日曜日

【2014/6/28】 小道具紹介



俳優になりたいと思ったこともなくて、まして人前に出るのとか、なんかやだな、恥ずかしいし、とそんなふうに思っている人でも、観客席から演劇を見ることで演劇の楽しみや喜びを知ることは出来るのですし、例えば俳優という職業に少しでも近づこうとしてがむしゃらに目を見開いて演劇による自己実現の為に鑑賞するよりも、演劇が面白くて、とか、演劇を見ながら何か考えたいとかいうような、そんな楽しみや知的な好奇心のために劇場に通うことの方が、かえって純粋なのかもしれません。

演劇の楽しみは観客席にもあるし、演劇をやらなければ演劇のことはわからない、と言うのなら、劇場の観客席は俳優や演出家や劇作家たちがたむろするだけの、そんな閉じたものになってしまいますし、日本の劇場では少ないのであまり馴染みがなく、本で知ったことなので実際に見たわけではないけれど、ヨーロッパなんかの劇場には図書館やカフェが充実していて、むしろ街の中で開かれたものであるそうです。

それでも、演劇をやっていなければ、普段の生活では絶対に起こらないことが時々、演劇をやっていると起きるのだ、とあらためて思ったのが、 「ちょうどいいドラム缶を探す」 というミッションを出演者たちがクリアし、事務所の隅に置かれたその 「ちょうどいいドラム缶」 の存在感に驚いている時に、人は、演劇にかかわる事なく、人生の中でドラム缶を探すことがあるのだろうか、と考えたのでした。そもそも 「ちょうどいいドラム缶」 という言葉もよくわかりませんし、ちょうどいいか、よくないか、という事でドラム缶について考えたこともありません。ドラム缶、ドラム缶。



これからの生活の中で、あと何回、出演者たちはドラム缶について考えることがあるのだろうか、そんなことはわかりませんが、とにかく、これがその 「ちょうどいいドラム缶」 です。


これがどんなふうに使われるのかは、8月の本番に来ていただく事で、「ああ、探したかいがあったね、ドラム缶」 と思っていただけるかと思います。C.T.T.の試演会では登場しなかったドラム缶がどんなふうに使われるのか、みなさんでご確認ください。

2014年6月27日金曜日

【2014/06/26】衣装・小道具

衣装・小道具がそろい始めました。全員ではありませんが、衣装を着けて練習が始まっています。「衣装を着けると身体が変わる」といいます。「スーツを着ると背筋が伸びる」とサラリーマンが言うように、衣装が「その人の社会的な立場や置かれた状況」を象徴しているとも言えます。そうした「象徴的な」衣装を身につけることで、衣装が表す「立場や状況」が身体に落ちるのかもしれません。
今回の衣装がもつ状況に身体をあわせることは、非常に演劇的でおもしろいと思います。
そういえば、映画監督の黒澤明氏は役者に衣装をつけたまま生活させたという逸話があります。衣装を着て練習することで、身体が衣装に合ってくることを期待しています。

2014年6月21日土曜日

【2014/6/21】 全員そろっての稽古



そういえば、と、このクラスでは出演者たちが揃わない日々が多く 「また今日も欠席者が、」 とか 「今日は何人揃いましたが……」 というような記事が続いていた事を思い出したりして、それはここ数回の稽古に関しては、出演者たちが全員揃うことがごく普通になっていたから、もちろん、演劇をやっている以上そんなことは完全に当たり前なのことでなければいけない、けれど、この背泳ぎの亀のブログ記事を少し遡るとわかる通りそれは案外難しく、そこから、ある意味での演劇をするにあたって必要な 「ごく普通」 というそれのハードルの高さを感じたり、その普通のことが普通に馴染んできていることで出演者たちが少しずつ、俳優と呼ばれるべきそれに近づいているのかもしれないと、そんな理由でそんなことを思い出したりしたのです。


それでも自動車学校に行って教習を受けて試験に合格して、はい、免許書です、というように、具体的なIDカードがあるわけではないその 「俳優」 という職業について、例えば芸能事務所に入る事や劇団に所属することで、自己紹介として俳優ですとは言えるものの、客観的に見たときに、それが本当に俳優と呼べる人物と足りえているかは、特に現代演劇の世界では難しいことではあるのでしょう。


作品も終盤に差し掛かり、着々と進む 「最後のコント」 というその公演作品に関わりながら、自分は俳優である、というただの自己紹介ではなくて、少しずつ、俳優になる、という事について、それがアクターズラボを通じてなされるとは一体どんな過程なのかを、着々と俳優になっていく出演者の皆さんに教わりながら、その稽古も台本の終盤に差し掛かり、衣装を着ての稽古はどうやら非常に暑いらしく、それでなくても最近は暑い日が続いているので、8月の本番の前に体調を崩したりせぬよう (体調管理も俳優の仕事だ、と言いますし) 残りの1か月とわずかの時間を充実したものにして貰えたらと思います。


2014年6月15日日曜日

【2014/06/14】そろうと盛り上がる?

今日も全員そろっての稽古となりました。勢揃いが続いているせいか(盛り上がっているから全員そろうのか)良くわかりませんが、稽古場は盛り上がっている雰囲気がします。
今日もテクニカルディレクターの北方さんが来てくれました。

2014年6月13日金曜日

【2014/06/12】準備着々

今日も全員そろっての講座となりました。5月半ば以降皆勤が続きます。公演のチケットが完成してきて、配られました。公演に向けていよいよ準備が整ってきました。今日はテクニカルディレクターの北方さんも稽古場に来てくれて、公演に向けて準備が整って行く感じがします。
 台本は完成した部分の修正等があり、演出家からシーンの意図等が説明されます。話の流れでちょっと哲学的な「愛について」みたいな話になって興味深いものがありました。
演劇作品の背景には劇作家の考える「哲学」があるものなので、そうしたことについてメンバーで議論する機会があってもいいのかもしれません。

2014年6月8日日曜日

【2014/6/5】 いろいろ完成


 
8月の本番に向けた稽古、台本がついに完成し、チラシも出来上がりチケットもまもなく発売で、もちろん出演者も全員揃った稽古場では俳優たちの大きな声が飛び交っているのかと思えば、出演者は眉間にしわを寄せて下を向きながらボソボソと切れ切れの声を出していました。


それというのも講師のあごうさとしさんから出演者にむけられた様々な問いかけの中で 「希望とはいかなるものか」 という哲学者たちもこぞって違うことを言うような質問がなされてしまったために、あーでもないこーでもないと話す声は自信のない尻切れの声になっていきます。


結局、最後の30分はその話をして終わってしまい、答えの出ないままでその日は終わってしまったのですが、とある映画監督が芝居の演出をした時に言っていた 「演劇すごいです、全然完成しない」 という言葉を思い出したりもしました。


それでも、その結論の出ない問いかけや、完成しないことを映画監督に驚かせるほどの演劇のために、つまりわざわざ頭を抱えて悩んだり困ったり大きな声を出してぐったりするために出演者たちは稽古場に集まっていることが一番の驚きだったりするのですが、どうしてそんな大変なことをしているのかといえば、多分、演劇がしたい、というあっけらかんとした理由なのではないでしょうか。


演劇がしたいという一心で希望とは何かという難題にさえ立ち向かえる、考えるほどに訳がわからなくなっていく様々な問題にも、何が正しいか誰も分からないまま無償の饒舌が過ぎていくだけの話合いも、演劇のために立ち向かえる、ということは、あれ? みんな悩んでるけど、それって何より、希望というやつでは? と思ったのですが、出演者たちはそんな簡単で安易な答えより、すぐには解りあえない場所で四苦八苦して貰えたらと思います。


2014年6月3日火曜日

【2014/05/24】コミュニケーショントレーニング


 長年こうした公演を目指すワークショップに携わっていますが、長期、短期に関係なくあらゆるワークショップで何らかの「もめ事」が起こります。起こらなかったことは、おおかた無いと思います。深刻な場合は、メンバーが途中で辞めて出演できなくなるということなのですが、公演まで3ヶ月をきっているばあいに辞めるに至るのは非常に希で、何らかんだあってもたいがい公演をやり遂げることができます。そして、たいていの場合公演をやり遂げられたことで、多くのもめ事の原因は解消されます。
 演劇はグループで行う創作で、スタッフワークも練習も人と関わりながら行います。メンバーは公募で集めていますから、性格が合わない人も、価値観が違う人もいろいろです。そうした人たちと、「いついつまでに作品を作って発表しなさい」という約束のもとで作業をするのですから、発表が近づけば近づくほど、焦りや、不安から心の余裕を無くし、対人関係のトラブルは頻発するのも当然です。
 さて、こうした問題にどう取り組むかはこうしたワークショップを始めた頃からの課題でした。様々なトラブル場面に出会ってきましたが、一番いいのは、「可能な限りグループ内で解決する」というものです。(もちろん、財布が取られた、とか、病気とか、創作に関係ないトラブルはすぐに対処します)こうした演劇ワークショップの醍醐味は実はこうした「難しい人たちと、なんとか折り合いをつけながらやっていくこと」にあると感じています。相手にどう伝えるとわかってもらえるか、どうするともう少し稽古場の雰囲気が和らぐのか・・・。そうしたことを、メンバーが考え実践することが大事なのです。ところが、グループにはたいてい「空気が読めない人」も「わがままな人」も存在します。「色々な事情を抱えていて十分に働けない人や自主練習に来られない人」もいらっしゃいます。そうした人がグループにいなかったことも無いほどです。でも、それは社会の縮図とも言えます。グループで何かを行う時に、均等に仕事や責任、ストレスが分け合えるということは理想ですが、たぶん無いのではないでしょうか。きっと誰かが、極端な場合はごく少数の人が多くの負担を抱えているのです。公演が迫る中で、その不満やストレス、イライラが吹き出して、たいていはトラブルが起きます。「私ばかりに負担がきている」と感じている人や、「メンバーからのプレッシャーに耐えられない」「私だけ疎外されている」といった不満が私たちスタッフに寄せられる時期でもあります。
 この時期こそが、実はとても大切なところです。グループや参加した個人が成長できるかどうかの分かれ目かもしれません。まさに「コミュニケーション力」が試されるし、その力が向上するときなのです。自分を変えるチャンスかもしれません。もちろん行き過ぎたストレスや負担が誰かにいっていて、どうしようも無いと思える場合にはスタッフが入って解決を図りますが、過去に経験した大半のものは、乗り切れる範囲だったと思います。

「背泳ぎの亀」もちょうどそんな時期にさしかかろうとしています。
 荒れ狂うプレッシャーの川はなかなか手強いですが、背泳ぎでわたりきってもらいたいと願っています。